ベガについて

代表者あいさつ

「幸せのために成すべきこと」

これからの人生を楽しく感動しながら過ごすために、あなたは何を意識していますか?
私は、自分の心に素直であること。そして「想い」を大切にしています。

「想い」は全ての出発点。だから不自然な力を抜いて、本当の自分で生きていきたい。
日々の努力も大切。でももっと大切なのは、心で感じる幸せ。

幸せとは、じんわりと胸の奥があったかくなるあの感じ。その心地良さを味わいながら生きていくことではないでしょうか。
私はその心地良さを、より多くの人と共に味わいたいのです。

ベガに関わるみんなが、自立した生き方を出来るように支援していくことが使命だと思っています。

代表取締役社長 富塚 加奈子

マークに込めた想い

マークは、ベガ=私たちを表しています。

中心にいるのはあなたです。夏の女王とも呼ばれるこの美しい星「ベガ」は皆さん一人ひとりの心の中で輝いています。
星を中心にした滑らかな曲線は女性のやさしさを表し、鋭い鋭角は強さを表しています。星を中心に八方向に、無限に広がっていく・・・それがあなたの可能性。両脇を支える人魚は、女王であるあなたを守る大切な仲間たち。「ベガ」では、全ての人が女王であり人魚でもあるのです。王冠を冠り、より気品高く、美しさを放つ女王に・・・

さぁ、夜空を見上げてください。目に飛び込んでくる、満点の星。そして、深く無限大に広がる宇宙の色。このディープブルーが私たちのコーポレートカラーです。ディープブルーは自然界の中にある一番強い色。どんな色が混ざっても決して崩れない色。全てを包み込む大きな心としっかりと自分を持った女性の象徴なのです。

この物語ができあがった朝、私は夜明けの海を見ました。海と空が水平線で溶けあい、それは永遠を感じさせる瞬間でした。
自然界のディープブルーを深く心に刻み、ベガの出発と永遠を想ったのです。

ブランドストーリー

私たちは、
 水がめぐる惑星に生きています。

Prologue

太陽系第3惑星「地球」。
45億5000万年前に宇宙の片すみに生まれたこの星は、その表面積の7割を海で覆われた「水の惑星」と呼ばれています。

かつて誕生したばかりの地球は、火山ガスが充満する死の世界でした。しかし、大気中の水蒸気が徐々に集まり、灼熱の大地に雨として降り注ぎ、気の遠くなるような時間の中で、大気と地上の熱を冷まし、二酸化炭素を取り込みながら大量の雨が川になり、湖になり、やがて原始の海へと姿を変えた時、混沌が支配していた自然界に初めて『生命が生まれる』 ためのバランスが生まれました。

環境が安定した水中に、やがて、原始的な植物が生まれ、二酸化炭素と引き替えに酸素を組成しはじめます。
大量の酸素は大気中にあふれ、それはオゾン層としてこの星を紫外線から守り、地上にも『生命が活動する』ためのステージを生み出したのです。

地球上に生きとし生けるものにとって「水」は、今も常にかけがえのないものとして、全てを支配しています。
それは、いかに文明的進化を遂げた「人類」といえど例外ではなく、水の恩恵なくして生命維持はおろか、ありとあらゆる活動が停止してしまいます。

『水のない世界』 を少し想像してみるだけで誰にでもわかるはずです。
ふだん何気なく使い、その有り難みをふりかえることもあまりない「水」。そんな水が持つかけがえのない力を…。

その本来の力をいま一度見つめ直すこと。そして、その正しい使い方を問い直すこと。
私たち「ベガ」は、そこから始めました。

晴れた日の夜、空を見上げてみてください。そこには、幾千万もの星々とともに煌々と輝く月が目に入るでしょう。「月の光」は古今東西の詩人や作家、芸術家の感性を刺激し、引用され、形容され、様々な形でインスピレーションに働きかけ貢献したり、俗世ではもっぱら色恋の口実にされたりしてきました。また一方では「月光浴」という呼び名でヒーリング効果を喧伝されたりもしてきました。しかし、目的を持ってにせよ、何気なくにせよ、人は、なぜ月を見上げる時その胸に特別な感慨を抱くのでしょうか。
一説によれば、月は、外宇宙から飛来した小惑星がまだ未完成状態だった地球と衝突した際、宇宙空間に飛び出した破片が集まってできた天体だそうです。また、地球上に棲む全ての生命体は、外宇宙から隕石に付着して来た有機体から進化した可能性を唱える説もあります。
 このふたつの話を強引に結びつければ、月も、人も、この地球という星に単なる偶然ではなく、運命的な何かに引かれてたどり着いた同胞のようなものと言えます。だから、月の満ち欠けで変わる潮の干満が人の死と誕生に密接な関係が見られるように、月の光には、どこか人の深い部分に眠っている原初的な記憶や力を呼び覚ます働きがあるのではないでしょうか。目から、肌から、身体のありとあらゆる部分から浸透し、細胞レベルで作用する波動に共鳴し、肉体と精神をニュートラルな状態へ戻し、それは人だけでなく、空中を漂う水の分子が集まりできた夜露にたっぷり含まれたマイナスイオンと、月の光が放つ波動とが結びあう事で、地球上の環境全てを浄化する作用が夜毎繰り返され、そのおかげで私たちは、毎朝爽やかな空気を呼吸する事ができているのではないかと思うのです。
そんな思考はさておいて、月の光を浴びながら涼やかな夜気に身をゆだね、虫の音などに耳を傾けながら、心静かにしているだけで、昼間の喧噪は忘れ、身も心もすみずみまできれいに洗われるような気分に浸れます。私たちは、心身共にリフレッシュできる心地よい環境づくりのお手伝いができないだろうかと考え始めました。

砂漠の中でオアシスを求めるように、都会に暮らす人々は緑を求めます。机の上に置かれたミニサボテンやリビングルームの片隅にある観葉植物。バルコニーを占拠するプランター群。流行のガーデニングやアクアプランツなど、『癒し』を求めるニーズに応えて、さまざまなカタチをした緑が私たちの身近な生活の中に入り込んでいます。人が本来、緑に求めているものは一体何なのでしょうか。
朝早く、木がたくさん生えた公園や境内などを散歩すると、吸い込む空気の清々しさに驚かされます。また真夏の強い日差しを避ける時、コンクリートでできた建物の軒下よりも、大きな樹の陰の方がひんやりと心地よい風を感じます。山深い森の奥で山歩きや森林浴を楽しむ人はより強い清涼感を味わうことでしょう。それは木が自己防衛の手段として分泌する防虫・殺菌作用のある特殊な物質が関係するのですが、これが人にとっては爽快感と精神を安定させる効果があるのです。そして、木は地中から吸い上げた水と光合成によって作られた濃密な酸素をいっしょに空気中に放出し、それらが混ざり合って、あの森の中の清浄な空気が生み出されているのです。それは、自然が意図せず生み出した「人への大いなる恵み」なのです。
かつて、人々は森を神聖な場所としてみだりに立ち入ることを禁じ、木を切るにも感謝と畏敬の念を忘れませんでした。時が移り人々の自然に対する尊敬は薄れ、儀式がすべて単なる慣習として受け流されるようになると、森は開発の名のもとに乱伐されるようになります。ところが、自然破壊が進むにつれ、酸性雨や温暖化現象、オゾンホールなど色々な問題が起こってきました。先人たちが大切にしてきた森には、やはりそれなりの守るべき理由があったのです。伝説や言い伝えだけで守られてきた自然との共存を今、私たちは科学的見地からの実証によって、その合理性と整合性を見いだす時代にきているのです。そこで私たちは、自然の中にあるバランスを崩さず、しかも人が気持ちいい状態が保てる接点を見つける努力を始めたのです。

『みずみずしい』という言葉は、若々しく新鮮でつやつやと輝いている状態を表現します。すべての細胞が活性化し、生命力に満ちあふれた状態。木々でいえば、春から初夏にかけて若葉の萌えさかる頃。森全体がもっとも美しく輝く 季節です。そういう状態を表す際に「みず」という言葉が選ばれた理由は何でしょう。「水に流す」という言葉があるように、水は古来より「汚れたもの」「いらないもの」を流し去って、すっきりクリアな状 態にリセットする役割を担わされてきました。しかし、ここが一番誤解されているところなのですが、水それ自体に浄化する力があるわけではありません。水は全ての物質の分子レベルの結びつきをゆるめたり、ほどく力があります。そうしてゆるめられたり、ほどかれた物質を別の分子構造に合体させたり、微生物などに取り込ませることが浄化しているように見えるのです。また、そんな水の働きは生物や植物の細胞レベルにおいては、その新陳代謝の手助けとして活かされます。活性化した細胞は大量の養分を摂取しながら、成長と分裂を繰り返しますが、それと同時に大量の老廃物を排出します。だから、細胞をみずみずしい状態で保つ作業を支えるためには大量の水分を摂取し、排出する必要があるのです。それは滝や早瀬をとめどなく流れる川の水が美しく澄み切っているような状態といえます。逆に川の流れが停滞し澱み始めた状態は、生物にとっては老化の始まり、植物にとっては枯れ始めることを意味します。だから、若く美しい状態を保つためにはまず、大量の水が不可欠なのです。それが『みずみずしい』という言葉の所以なのです。かつて、日本では家のそばを流れる川で水を飲み、米を研ぎ、顔を洗い、洗濯をし、遊びました。清らかな水をふんだんに使えた時代、人々の体には『みずみずしい』生命力が満ち溢れていたことでしょう。私たちが自ら手ばなしてしまった、あの豊穣なる水の時代を取り戻すことは不可能かもしれません。しかし、『みずみずしい』生命力を取り戻せる「水」のカギを私たちは見つけたのです。

人や生き物だけでなく、地上にある全ての物質が水無しでは存在できません。水は様々に姿を変えて地球を循環します。海水は水蒸気となり、雲となり、雨として降り注ぎ、海へ戻ります。遙か太古の昔からその繰り返しの中で万物は水と深く関わり続けてきました。水は地球の血液なのです。血液が人の全身をくまなく循環し、体温を一定にし、細胞に酸素と栄養を与え、老廃物を捨て、病原菌と戦うように、水は地球を健康状態に保つ働きを果たしてきたのです。そして、そんな健全な自然の姿に触れた時、私たちは思わず「美しい」という言葉で形容するのです。
しかし、私たち自身が「美しさ」を求める時は、どうでしょう? 恐らくドレスアップやメイクアップに頼るのではないでしょうか。確かにそれらは外見的に見違える変化を与えますが、所詮本来の姿を覆い隠す行為。例えるなら花を色鮮やかにしたいからと直に色を塗るようなもの。でも、花を愛する人ならば、土壌を改良し、十分に陽に当て、水を適切に与えるなど、花本来の美しさを引き出すため必要な要素や条件を充たす根本的な方法をとるはずです。
肌本来の「美しさ」とは、ただ色を塗るのでなく、健康な張りと潤いを保つことが基本。それには、まず体にとって「良い水」を選ぶことが最も堅実な方法です。水が淀みなく行き渡り、運び・伝え・浄める機能が改善され、本来の自然な状態に整った体内状況を反映して、肌は美しく輝くのです。そんな流れの中ですべてを司る水の力を実感した人は、「美しさ」の意味を自然に理解し始めるのです。
人が人として美しく在る事。それは、目先の美しさに惑わされず、根本的な部分から生まれてくる本来の美しさを見つけ、育み花開かせる事。そのためには、身のまわりの人々や環境、やがて地球全体にまで視野を広げられる柔軟な感性が必要です。広大な宇宙に浮かぶ青く美しい地球。そこに生かされているという我が身の奇跡を「水」という媒体を通じて見つめ直し、自らの内なる小宇宙(ミクロコスモス)にまで繋がる絆を意識した時、初めて『美』を求める人のみなもとへ辿り着けるのです。

人から、人へ 。

Epilogue

まず、自分の体調の悪さを何で知るのかを考えます。体の痛み・発熱・悪寒・吐き気・だるさ・何となく気分がすぐれないなど…その信号はさまざまです。
これに似た緊急信号を地球に住む私たちは感じています。大気汚染、水質汚濁、オゾンホールや異常気象、さまざまな環境問題は、ここ100年で一気に悪化しました。直接的原因は社会の急激な繁栄に伴う乱開発によるものですが、その背景にあるのは、他人より良いモノ、他人より良い生活、他人より良い未来を求める無秩序な『競争社会』的発想です。現代人はその代償として、先人たちが永い営みの中で培い、受け継いできた身の回りにある人、モノ、関係など全てに対する思いやりの心を犠牲にしたのです。最近、毎日のように伝えられる暗いニュースに、人類の未来さえ心許なく感じる原因もそこにあるのです。しかし、私たちの地球は果たして手遅れな状態なのでしょうか。
人の体には本来、自然治癒力があります。ただそれを効果的に活用するには「元気になりたい」「健康でいたい」と前向きに強く願う気持ちが必要不可欠です。60兆個の細胞のすみずみにまで浸透するほどの強いポジティブな思いが、神秘的な力を発揮させます。そんな人と同じような自然治癒力が地球にもあります。その力を弱らせたのは人間ですが、本来の力を取り戻すことができるのも人間です。人と人が強く結びつき、環境に思いを馳せる心と心を繋ぎ、互いに未来に対する思いをポジティブに強く願う。そんなひとつひとつの強固なつながりを世界に広めてゆきながら、身近な人やモノや関係を大事に、手を取り合い協調できる『調和社会』実現を目指し、日頃の生活から気を配る。それが地球環境を元気にするための第一歩です。
そのためには、素直に感謝し、感動し、素直に愛を伝えあう「心の感性」をもっともっと磨いていかなければなりません。地球が発するSOSのメッセージに耳を澄まし、受け止め、身近な人々に感謝するような気持ちで地球環境について考える人の輪を少しずつ広げていくこと。環境の世紀といわれる新時代に、私たちベガの役割と可能性は限りなく大きく、深く、広がろうとしているのです。